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桜田淳子ちゃん 1974年は、模索と迷いと飛躍の年

もうしばらく桜田淳子さんの記事が続きます。
今回は、1973年の最優秀新人賞受賞した翌年の、淳子ちゃんのたどった軌跡について感じた事です。1974年、ほぼ一年間、私は淳子ちゃんの新曲に次々と悩まされることになるのです。

1974年(昭和49年)の淳子ちゃんは、模索の時代、どんな歌を歌ったらいいのか淳子ちゃんを売り出すスタッフさんたちが大いに迷っていた時代のように見えました。そう思った理由は、ただ単に、私が期待していた淳子ちゃんらしい歌をあまり歌ってくれなかった、という事に起因しています。

全く個人的な見方にすぎないのです。でも、私の理想とする桜田淳子から遠くかけ離れた淳子ちゃんになりそうで、そのことに悩まされ続けたのです。

私が期待していた歌とは違う歌、桜田淳子らしからぬ歌だと思った曲とは何か。それは「花物語」「三色すみれ」「花占い」のことです。

花物語  まあ淳子ちゃんしか歌えない歌ではあります・・・


でも、私の思いと世間の思いはずいぶん違っていたのだ、とわかったのは、つい最近になってからです。 この三曲は私の思っていた以上に評判が良かった。意外でした。
それに対して私は、この3曲は桜田淳子にとって必要の無い曲だとさえ思っていました。

ただし「花物語」は話題性のある曲でした。当時モノマネ、笑いのネタによく使われていました。

桜田淳子さんの回想 CDライナーノーツより
「正直に言うと、こういう曲ってブリっ子っぽくて女の子のファンにはバツかなって思ってたんですよ。でも意外にヒットしていたんですね(笑)。そういえば、この曲っていろいろギャグなんかに使われたような気がします。物真似されたりとか(笑)」
淳子ちゃんにはヒットしてたという自覚はなかったようですね。
それはさておき、私の評価でも、花物語という歌はそういう歌でした。

それからモノマネ!

森昌子ちゃんもコンサートで「花物語」の物真似をしていました。
これがまた冷や汗もののモノマネで、淳子ちゃんの歌い方をそっくりに真似するんです。

あらゆる歌唱テクニックが使える昌子ちゃんが、どちらかといえば不器用な歌い方ともいえる淳子ちゃんの歌い方を、いい所も悪い所も区別なく、そっくりにコピーしてみせたそのモノマネは、上手いを通り越して、淳子ファンを凍りつかせるものがありましたね(笑)。
※このコンサートでは百恵ちゃんが寸劇で共演し、淳子ちゃんも応援に来たそうですから、三人の間に確執が出来たなんてことはなかったと思いますよ(汗)。

花物語 レコードバージョン



でもこの3曲の「花シリーズ」が好きだという人が実際にはとても多かった。 この3曲は傑作だ、この歌が桜田淳子を飛躍させた、これらの歌が淳子さんの人気の基礎を作ったという評価をされる方もいらっしゃいます。

こうした歌(三色すみれ)が多ければ、彼女はもっと評価され、今でも人気者であちこちで歌っていたでしょう。YouTubeに寄せられた三色すみれへの評価の一例です。これほど高い評価をする方もいらっしゃるのですね。

私の音楽の好みが、どうも世間一般からは、相当ずれているのではないかと感じるようになったのも、インターネットの時代になってからです。それがなければ、「花物語」「三色すみれ」「花占い」が良いという人は「センスゼロの人」「何もわかっちゃいない人」と思い続けていたことでしょう。

マスコミや評論家が作った評価ではなく、正真正銘の個人の意見には説得力があります。私の見方と違っていようと、それは真実だと認めざるを得ません。


1974年の新曲と私の好みとのズレ
1973年度にレコード大賞、最優秀新人賞を獲得した桜田淳子さんですが、「わたしの青い鳥」以降にリリースするシングルレコードの曲は、どうも私がイメージしている桜田淳子とは、かけ離れた曲を歌っているように思えました。唯一イメージにあっていたのは「黄色いリボン」だけ。(※「はじめての出来事」については最後に書きます)

私の桜田淳子のイメージはかなりはっきりしていて、
「天使も夢見る」「天使の初恋」「わたしの青い鳥」と続く、メルヘンタッチの明るい歌が、桜田淳子が歌うべき歌であって、「花物語」「三色すみれ」「花占い」は、私の理想とする桜田淳子にはまったくふさわしくない歌だったのです。

三色すみれ



しかし、今、あらためてレコードの売り上げ枚数を調べると、私が描いていた淳子ちゃんのイメージと、レコードの売り上げや順位が一致していない事に驚かされます。

1973年02月 「天使も夢見る」・・・・・12.1万枚  12位 オリコン最高位
1973年05月 「天使の初恋」・・・・・・07.1万枚  27位
1973年08月 「わたしの青い鳥」・・・・15.9万枚  18位
1973年11月 「花物語」・・・・・・・・23.7万枚  09位

1974年03月 「三色すみれ」・・・・・・18.6万枚  10位
1974年05月 「黄色いリボン」・・・・・16.5万枚  10位
1974年08月 「花占い」・・・・・・・・12.3万枚  09位

私が淳子ちゃんのファンになった曲「天使の初恋」の数字が、こんなに振るわなかったのか、と今でも合点がいきません。「わたしの青い鳥」の売り上げ枚数と順位も予想外に低い。世間の感覚と私の好みのズレを思い知らされます。

私が個人的に、淳子ちゃんには相応しくないと思っていた3曲については、
「花物語」は20万枚をこえるヒット、初のベストテン入り。
「三色すみれ」も続いてベストテン入り、売り上げも「わたしの青い鳥」を越えている。
「花占い」もベストテンでは9位に入っている。
世間は、本当にこれらの曲を、高く評価していた。数字からみればそういう事になります。

一方、私が「これが桜田淳子の歌だ!」と思っていた曲のほうがむしろ成績が悪い。

私の好きな「黄色いリボン」だけは、順位も売り上げ枚数も、まあまあの成績ですが、私のお気に入り度とはまったく釣り合いません。この程度の売り上げだったのか、と思ってしまいます。

黄色いリボン レコードバージョン


オリコンについてですが、淳子ちゃんが現役の歌手だった時代をとおして、私は彼女の歌がオリコンで何位かなどと言う事は、あまり関心がなく、正確な数字も知りませんでした。そもそもオリコンて何?何を見ればその数字がわかるの?そんなに大事な数字なの?と思っていました。

私個人からみれば、当時はいろいろな雑誌で芸能人の人気投票がありましたし、ラジオのリクエスト番組では、その番組によせられるリクエストで独自の順位を決めていました。

レコードの売り上げ枚数よりも、どれだけテレビやラジオでたくさん聞く機会があるかのほうが大切でしたし、また自分たちが歌える歌(遠足のバスの中で歌うとか)であることのほうが重要でした。

黄色いリボン桜田淳子




その基準で測ると、今、示されるオリコンの順位、売り上げ枚数は、どうしても私の持っている感覚と合わないのです。こういう数字で評価していいのかという気さえしてしまいます。

とにかくそのくらい自分の感覚と現在残っている数字には違和感があるのです。

「わたしの青い鳥」を歌うのをやめて「花物語」をリリースしたことは当時の私にはまったく理解できない事でした。それにつづく「三色すみれ」のリリースは、更に私の期待を裏切りました。「黄色いリボン」が発売された時は「これだよ桜田淳子が歌うべき歌は」と喜びましたが、それに続く「花占い」は、また私を失望させました。

「花占い」を聞いた時には、私はもう淳子ちゃんのファンであることをやめようとさえ思いました。私が期待していた桜田淳子とはどんどん違う方向へ行ってしまう。私とは違うファン層が桜田淳子のファンの中心になり、担当ディレクターもその方向へ走り始めている。この状態では、もう私の思いなどこの世に存在しないのも同然です。

「しかし何故だ?なんで他の人はこんな歌を聞きたがるんだ?まったくわからない、面白くもなんとも無い歌。こんな歌を聞いて楽しいのか?わからない・・・」
ちょっと言い過ぎのようですが、これが当時の私の正直な気持ちでした。

花占い


しかし、こうして売り上げ枚数、ヒットチャートを見せられると、1974年に進んでいった淳子ちゃんの方向性は、きちんとしたデータに裏付けられた方向であったんだと認めざるを得ません。

でも何かが違う、この方向では淳子ちゃんの魅力を引き出しているどうしても思えない。しかしデータでは示せない。私の主観だけが頼り。これでは他人を説得する事などできません。


私の思いは必ずしも見当違いではなかったかも・・・
ただ私の思いが、私だけの見当違いの見方だったのかというと、そうでもなかったようだという記事を見つけて、少し安心させられました。

それは、当時、淳子さんの担当ディレクターだった谷田さんの言葉でした。
「はじめての出来事」がオリコン一位を獲得した時のことを語ったものです。

「・・・ここまでにはいろいろもどかしく感じた時期もありましたが、結果的にはいきなりでなく、徐々に大きくなっていけてよかったって思っています」

「もどかしく感じた」 そういう思いはあったのかと私は興味深く読みました。「花物語」~「三色すみれ」まで、ヒットチャートのベストテンには入るんだけれども満足のいく結果ではなかったということでしょうか。多分そういう意味なのだろうと解釈しています。

「天使の初恋」~「わたしの青い鳥」まで、おそらく桜田淳子のイメージに合っていると信じた曲が意外に数字的には振るわず、「わたしの青い鳥」はベストテン入りを狙っていたのに、”それが叶わずすごく悩んだ”。

ところが「花物語」が23万枚のヒットで初のベストテン入り。これで1973年度の最優秀新人賞を獲るための最低ラインの条件をにようやくクリアできた。これを「彼女のいう運なのであろう」と桜田淳子の強運ぶりがCDのライナーノーツに書かれています。

「花物語」が数字的には良かったのだから同じ路線の「三色すみれ」のリリースへとつながり、それもベストテン入り。

しかし、ここでそのままの路線には進まず、以前の明るいメルヘン路線の「黄色いリボン」をリリースする。この狙いは何だったのか、ここが私にとっては興味のあるところです。

CDのライナーノーツに淳子ちゃんのコメントがあります。

「黄色いリボンは森田公一先生ですね!! ここからけっこう変わりましたね。特にこの曲は管楽器が冴えていて、すごく気持ちよかったんです。」

一方、谷田ディレクターは、”この黄色いリボンで理想とする裏打ち感覚のリズムが入った8ビートの路線が確立できた”と語っています。

黄色いリボン ステージバージョン 「淳ちゃん!」の声援に注目


軽快なリズムの中に、すぐファンから”淳子!”という掛け声がかかりはじめ、まさに淳子の王道ポップスサウンドとも言おうか。この曲以来「十七の夏」「夏にご用心」「気まぐれヴィーナス」「リップスティック」・・・・と初夏に発売する曲は淳子のさわやかなイメージと相まって、夏=淳子という方程式が定着していく」
(アルバム「三色すみれ+10」のライナーノーツからの引用)

結果的にはライナーノーツに書かれているとおりになりました。

しかし「黄色いリボン」の次の新曲は、その路線には進まず「花占い」のリリースとなります。

「黄色いリボン」の売り上げが「三色すみれ」を下回ったのですから、それならやはり「花路線」で行こうという事だったのでしょうか。

数字からみると成績のよい「花物語」「三色すみれ」「花占い」の花シリーズと、谷田ディレクターが”理想とする”「黄色いリボン」のリリース。

数字のうえでは、どの曲も決定打にはなっていません。この結果では桜田淳子をどのようにプロモーションしていけばいいのか、決め手となる方向性が見出せずスタッフはかなり困惑したのではないか、私はそのように思います。

谷田ディレクターが感じていた「もどかしさ」、山口百恵さんの青い性路線の衝撃、その影響を無視できず桜田淳子にも等身大の色気を楽曲に出したいという思い、阿久悠さんに頼み込んでシングル用に4作ほど詩を書いてもらったこと(はじめての出来事の詞)。

「頼み込む」とは普通の表現ではありません。谷田ディレクターは相当悩んでいたんだと思わすにはいられないところです。

これらの言葉をつなぎ合わせると、1974年は、桜田淳子が進むべき方向性について、非常に悩んでいたことが伺えると思えます。私は谷田ディレクターの言葉を、そのように受け取りました。

そして、このように考えると私が一ファンとして感じていた「もどかしさ」の説明もつくのです。しかし自分にとって都合のいい所だけをつなぎ合わせただけなのかもしれません。

「それは違う」と思う方も多いでしょう。私の見方にどれほどの方が同意してくれるかも分かりません。とにかく私の音楽の好みは非常に偏っていますから普遍性のある見方とは言えないでしょう。


1974年末 淳子ちゃん トップアイドルへの手応え
1974年12月5日 「はじめての出来事」がリリースされます。
この頃は、私は淳子ちゃんの歌を聴くのをやめていました。花路線を進む淳子ちゃんは、もう私の好きな桜田淳子ではなかったからです。

12月の上旬、そうは言っても私は淳子ちゃんの事が気になって彼女の出演するTVにチャンネルを合わせました。幸いTVのある部屋には他の家族は居ませんでした。隠れ淳子ファンには絶好の機会です。

この時は、新曲のリリース時期だと知っていたのではありません。まったくの偶然で、12月にリリースしたばかりの「はじめての出来事」を聞くことができました。

はじめての出来事


「うん いい感じ。この曲ならヒット間違いなし!」 と思いました。私が聞きたかった淳子ちゃんのイメージどおりの歌でした。

「ヒット間違いなし」と思ったのはただ私の好みの曲だったというだけの事。ただの直感。大した根拠があったわけではありません。

しいて理由をあげればいくつかのヒット要因は考えられました。曲のイントロが今までの歌とちがって聴いた事のない新鮮味があった事、淳子ちゃんはいままでのショートヘアーより少し髪を長く伸ばし、容姿も大人っぽくなり、すごく美人になっていたこと、この歌のために用意された青いドレスが非常に良く似合っていた事、このときの淳子ちゃんの歌う姿は、一目でハッとさせられるほど魅力的なものでした。

はじめての桜田淳子02

はじめての桜田淳子01


1974年の暮れから年明けの1975年の正月、2月になってもこの曲はラジオ・TVで流れ続けました。ヒットチャート1位。私の理想とする桜田淳子像と、現実の淳子ちゃん世間一般に受け入れられる淳子ちゃんが、やっと一致してくれた時でした。ここまでくるのは本当に長かった。


ところで1974年(昭和49年)の淳子さんの日記(ネットで公開されている)を読んでみた。
こんなに淳子ちゃんの新曲に悩まされ、そして最後には大喜びせてくれた1974年。
なにか淳子ちゃんの気持ちが書いてあるだろうか・・・

期待して読んでみたが、この年の日記には新曲の感想はな~んにも書いてない。
こちらの思いが強かっただけに「なんだこりゃ?」 です。

面白い所はいくつもありましたが、今回は12月31日の紅白歌合戦の淳子ちゃんの感想を引用させてもらいます。

-------以下、淳子ちゃんの1974年の日記-------
★12月31日(火)
日記さんごめんなさい しばらくお休みして!
でも今日は最高ヨ!
紅白歌合戦で「黄色いリポン」を歌ったんだから
うれしかったワ
あ、報告しなけりゃ
雲の上のあなた
見てくれた JUNKOのこと
あなたのこと思て歌ったのヨ!!
でも あなたはこの頃 ものすごいイジワル!
私がほほえみかけても知らんふり
ツーン!
小学一年生のとき 確か先生は1たす1は2だって教えてくれました
でも恋を知った私は いくら計算しても どんなに考えても 1たす1が2にならないのです
あなたのせいヨ! イジワルさん!
ほんとに あなたは雲の上の人なの?
あ もう三時 おやすみなさ~い

-------引用終わり-------

あらまあ、そうだったの?
「雲の上のあなたを思って歌ったのヨ」ってどういう事?

見てくれた? JUNKOのこと  「ハイ わたしは見ましたよ!」
淳子01


「桜田淳子ちゃんの黄色いリボン(1974年紅白歌合戦)」についてはこちら
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