私が初めてタルコフスキーに会ったのは、第一回のソ連訪問の時、モス・フィルムで行われた歓迎昼食会の席上だ。
彼は、小柄で痩せていて、少し体が弱そうで、頭が凄く良さそうで、並外れて感性が鋭そうで、なんだか武満徹によく似ているな、と思った。
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1971年に来日したアンドレイ・タルコフスキー(右)と黒澤明
その時、彼は「仕事中ですから・・・」と中座したが、それから暫くして、その食堂の窓ガラスをビリビリ言わせる様な爆発音が聞こえて来た。
私が驚愕した顔をすると、モス・フィルムの所長がニヤニヤしていった。
「戦争が始まった訳ではありません。タルコフスキーがロケットを打ち上げたんです。もっとも、私にとって、今度のタルコフスキーの仕事は。大戦争ですがね」
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映画「惑星ソラリス」でのロケット打ち上げシーン
タルコフスキーは、その時、『ソラリス』の撮影中だったのである。
昼食後、私はそのタルコフスキーのセットを見た。
成程、黒焦げになったロケットが宇宙衛星基地のセットの一隅にあった。
セットでロケットの打ち上げのシーンをどうやって撮影したのかを聞きもらしたが、その衛星基地のセットは、驚く程金のかかった、神経の行きとどいたもので、厚いジュラルミンで出来ていた。
それは冷たい金属製の光で銀色に輝き、ずらりと並んだ計器類の光電管の赤や青や緑の光線が微妙にまたたいていたりうねったりしていた。そして、その廊下の上部には、二本のジュラルミンのレールが走っていて、それから小さな車輪で吊るされたキャメラが、衛星基地の内部を自由自在に動き回れるようになっていた。
タルコフスキーは、そのセットをまるで自慢の玩具箱を見せる子供のように顔を輝かして説明しながら案内してくれた。
一緒について来たボンダルチュクが、そのセットにかかった費用について質問し、タルコフスキーの返事を聞いて目を丸くした。そのセットの費用は、あの『戦争と平和』のボンダルチュクでさえ驚く程のもので、日本金にして約6億円だという。
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6億円の費用かかったというソラリス・ステーションのセット
モス・フィルムの所長が「私にとっては、大戦争」と言った気持ちがよくわかった。
しかしそれだけの金を使うのは、それだけ才能と努力がいるのだ、
私は、これは大変な仕事だな、こまめにセットを案内して回るタルコフスキーの後ろ姿をつくづくと眺めた。
『ソラリス』 この作品が長過ぎると云う人がいるが多いが、私はそうは思わない。
特に、導入部の自然の描写が長過ぎる様に見えるが、この地球の自然との別離ともいうべきシーンの積み重ねが、この映画の主人公が宇宙衛星基地に打ち上げられてからの物語の底に沈潜していて、それがホーム・シックに似た、たまらない地球の自然への郷愁ともいうべき気持ちで観客の胸をしめつけて来る。この長い導入部がなければ、衛星基地に閉じこめられた人達のせっぱつまった気持ちにじかにふれる思いを観客に抱かせることはできない。
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映画冒頭の自然描写の1シーン
私は、この作品を、夜遅く、モスクワの試写室で見たのだが、見ているうちに、地球へ早く帰りたい、という気持ちで胸苦しくなった。科学の進歩は、人間を一体どこへ連れて行ってしまうのだろう。その空恐ろしい気持ちをこの映画は見事に掴んで見せている。S・Fに、これがなくては、たんなる絵空事になってしまう。
『ソラリス』の画面を見入る私の頭の中を、そんな感慨が去来していた。
その時、タルコフスキーは、試写室の隅で一緒に見ていたが、映画が終わると、てれた様に私を見つめて立ち上がった。
私は、そのタルコフスキーにいった。
「とてもいいよ。怖い映画だね」
タルコフスキーは、はにかんだ様に、でも、うれしそうに笑った。
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ソラリス・ステーションに現れる奇怪な訪問客、死から生への逆行
そして、それから二人は、映画人同盟のレストランでウオッカで乾杯した。
普段、酒を飲まないタルコフスキーは、大いに酔って、レストランに音楽を流しているスピーカーを切ってしまい、「七人の侍」のテーマを大声で唄い出した。
私も負けずに、それにあわせて唄った。
私は、その時、地球にいるということがとても嬉しかったのである。
『ソラリス』は、観た人に、そういう気持ちを抱かせるだけでも、並みのS・F映画ではない。なんだか、本当に怖いところがあるのだ。
そして、それはタルコフスキーの鋭い感性が掴んだものだ。
この世界には、まだまだ人間の知らない部分がいろいろある筈なのだ。
人間がのぞいた宇宙の深淵 衛星基地の奇怪な訪問客 死から生へ逆行する時間 無重力の奇妙な感覚 衛星基地の主人公が思いをはせた我が家は、だらだら水をたらしている。それは、なにか主人公の切実な思いが全身から絞り出した汗か涙のように思える。
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日本の首都高速で行われた未来都市の撮影(ここは、おそらく赤坂見附の弁慶橋付近を通過するところ)

それから、ぞっとさせられたのは、赤坂見附のロケーション。鏡を巧みに使って、自動車のヘッドランプとテールランプの流れを増幅させ未来都市に仕立てたショット
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鏡で自動車のランプを増幅させた未来都市のイメージ今思うと「科学の進歩」というより
限度を超えて偏ってしまったCaptital資本主義の象徴のような映像である
『ソラリス』の中でタルコフスキーの才能は、いたるところで、キラキラ光っている。
タルコフスキーは難解だという人が多いが、私はそうは思わない。
タルコフスキーの感性が並はずれて鋭いだけだ。
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ソラリス宇宙基地(ソラリス・ステーション)の外観
彼は、『ソラリス』の後、『鏡』という作品を創った。
これは彼が幼い頃の思い出を描いた作品だが、これも難解だという人が多い。
成程、一見、脈絡もない展開をする映画だ。
しかし、幼い頃の思い出が理路整然とつながっている筈はない。
そのきれぎれの思い出の断片の奇妙なつながりにこそ、幼い頃の思い出の詩がある。
そう思って見れば、こんな判りやすい映画はない。
でもタルコフスキーは、そんな事はなんにも言わずに黙っている。
私はそこにタルコフスキーの将来性を見る。自分の作品の解説ばかりしている様な奴に見込みはない。
(映画監督)
(1977年5月13日 朝日新聞夕刊より転載)
※惑星ソラリス 日本初公開時のパンフレットより転載。
※ただし映画のパンフレットは1977年4月29日発行となっており、「1977年5月13日 朝日新聞夕刊より転載」の記載はパンフレット側の間違いである可能性がある。
原文では「タルコフスキィ」と表記されている部分を、現在の慣例的な呼称に従って「タルコフスキー」に改めました。なお映画の画像は、読者の理解の便を考慮し筆者が追加したものです。※この記事は書きかけの記事です。誤字、脱字などは追って訂正していきます外部リンク惑星ソラリス(ウィキペディア)
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テーマ : SF映画
ジャンル : 映画